ジャワ島地震その後

6月30日産経新聞朝刊29面から。(ネット上に記事がないので、紙面からテキストを起こしました)

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薬背に 単独現地入り
ジャワ島地震1ヵ月
日本人薬剤師、医療チーム結成


 死者約5800人を出したジャワ島中部地震で、1人の日本人薬剤師が単身で医療ボランティアとして被災者に乗り込んだ。東京都杉並区の村野宏守さん(62)。インドネシア赤十字社の連絡先を頼りに現地へ入りインドネシア人のボランティアと巡回医療チームを結成。「私たちの使命は被災者を安心させること」と振り返る。


 村野さんが、被災したジョクジャカルタ市に到着したのは地震発生3日後の5月30日。登録していた独立行政法人国際協力機構」(JICA)の国際緊急援助隊には参加できなかったが、医薬品13キロが詰まったケースを肩に飛行機に乗り込んだ。
 村野さんには苦い経験があった。阪神大震災のとき、薬剤師の業界団体の許可が出ず、現地に行けなかったことだ。
兵庫県の保健所に電話すると『一人でも多く来てほしい』と悲鳴を上げていた。なのに助けに行けなかったんです。あの二の舞を演じたくなかった」
 同赤十字社ジョクジャカルタ支部に到着するとさっそく「巡回し、被災者の手当てをしたい」と申し入れた。翌日、学生ボランティア5人からなるチームのリーダーに。その後3日間、最大の被災地バントゥル県を車で巡り、約80人に薬を渡し、手当てした。かつて新潟中越地震スマトラ島沖地震で現地ボランティアとして活動した体験がここでも生きた。
 山間部のある村では、顔の切り傷が痛々しく縫合された若い女性に出会った。洗浄し被覆材を張り「これで大丈夫」と声をかけると、女性がほほえみ返してくれた。
 「私たちの使命は被災者を安心させること。笑顔が一番のご褒美」
 村野さんは明治薬科大を卒業後、杉並区で30年経営した薬局を、今年3月に閉じた。
 「団塊の世代の人たちが引退してから何をやればいいのか分からないと言われますが、前もって見つけておくことでしょうね。ボランティアは社会との結びつきがあるのがいい」と村野さん。家族も温かく送り出してくれるという。
 今年4月、有志40人と「日本災害医療薬剤師学会」を結成した。医薬品の仕分けから管理、供給まで、被災地での薬剤師の仕事は重要だ。
 「ジャワ島では薬剤師一人でも災害医療活動ができることを立証できました。一人でも多くの薬剤師にボランティアの喜びを知ってほしい」
 村野さんの挑戦はまだまだ続きそうだ。

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 地震発生から1ヵ月。被災地では50万戸を越える被災家屋の再建が始まっている。建築資材と大工が不足するなか、約43万人の被災民がテント暮らしを続けており、疲労の色を濃くしている。インドネシア政府は、住宅被害への支給(最高約40万円)やコメ配給などの生活支援を含む復興費用約1500億円を計上、一部はすでに実施している。被害総額は約3640億円とされる。

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私には2005年の愛知万博で知り合ったインドネシア人の友達がいます。ジャワ島地震後に彼にeメールで状況を聞いたところ、彼は震源からはるか500km離れた首都のジャカルタに住んでいるので、家族ともに無事だった、とのことでした。しかし、震源にほど近いジョクジャカルタの被害は大きく、家を失った人も多いとのことです。日本からは自衛隊やJICAの医療チームが現地入りして活動している、との報道もインドネシアでもされていたそうです。


阪神大震災がおきた時、私は他の地方に住んでいて直接被害には遭わなかったので、現地へボランティアとして駆けつけたかったのです。しかし、当時私は大学4年生で卒論真っ最中で、もし1ヶ月とか2ヶ月大学を離れてしまったら留年確実だったため、涙を呑んでボランティアはあきらめて、募金をするぐらいでした。


そんなわけで、この記事に出ている村野さんに共感するところがあるので、村野さんのような人が被災地へ駆けつけて活動しているという記事を見て、日記に取り上げました。


ジャワ島の人々が1日も早く復興して元の暮らしに戻れるように祈っています。


私たちが現地の復興のためにできることは、募金以外には何があるでしょうか?
良いアイデアをお持ちの方がいらしたら、コメントお願いします。