6/11の日記 タンザニア人の絵描きさんと友達になりました。

別の日記サイトに載せてた6/11の日記ですが、「はてな」に移行することにしたので、こちらに転載します。過去の日記が書ければいいのに。

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2005年の愛知万博で知り合ったタンザニア館のスタッフの方(日本人)が万博が終わった後、クリスマスに名古屋にタンザニアのギャラリー「タンザニアフィリア」を開きました。久しぶりにその方からメールが来たので、オープン時にお祝いに行って以来、久しぶりに6/4の日曜日にギャラリーに遊びに行ったら、たまたま今、タンザニア人の絵描きさんが来日していました。
その絵描きさん(ムクラさん)は3週間ぐらい名古屋のギャラリーにいるらしく、稲沢駅のすぐ近くのアパートからギャラリーに通っているとのことでした。


日曜(6/4)の夕方、ギャラリーの閉店時間に、帰りの方向が一緒だからということで、ムクラさんと一緒に帰ることになりました。折角だから一緒に夕ご飯でも食べようと私が稲沢で途中下車して、中華料理屋でご飯を食べました。

ムクラさんは3週間の名古屋滞在が月曜日(6/12)までで、月曜の夜行バスで東京へ行った後、1週間ぐらいでタンザニアへ帰る、とのことでした。

毎日、ギャラリーとアパートの往復で(ムクラさんは英語とスワヒリ語しかできないので、いつものルート以外の電車の乗り方が分からない)変化がなくてつまらない、と言っていたので、月曜日(6/5)にたまたま熱田神宮のお祭りがあったので、私の仕事が終わった後、そこへ連れて行きました。

ムクラさんは神社へ行くのは初めてだというので、おみくじを引いたり、(私もムクラさんも「吉」でした)お守りを買ってあげたりした後、本殿前でお参りして、その後はお祭りの出店で色々なものを買って食べたり、花火大会を楽しんだりしました。たいへんよろこんでくれたようで、良かったです。


その後も木曜、金曜も20時ごろに仕事が終わったので、ムクラさんの住んでいる稲沢まで行って、一緒に飲みました。(タンザニア人にはイスラム教の人が多いのですが、ムクラさんは違うようで、お酒も豚肉もOKだったので、食べ物に関するタブーはありませんでした。)
日本の普通の一杯飲み屋なので、箸しかないのですが、ムクラさんは箸を使うのも上手かったです。ムクラさんはよくその店へ行くようで、常連客の人気者になっていました。が、地方都市の悲しさ、英語を話せる客が少なくて、熱心にボディーランゲージで会話していたようです。私が一緒に行ったら、「お、今日は通訳がいるからいいね」なんて言われました。

普段私は英語を使う機会なんて無いので、英語でしゃべれる友達ができて、とっても楽しいです。もし仕事で英語を使わざるを得ない状況にあったら、英語はもうたくさん、という感じかもしれませんが、私は仕事ではないので、気楽にいけるのが良いのでしょう。


土曜日(6/10)にはまたムクラさんに会いに行きました。前日の夜に別れるときに、ムクラさんが「ティンガティンガのTシャツがあるから、明日取りに来なさい。あげるよ」と言ってたのです。私からは、お土産に日本の扇子(北斎の『冨嶽三十六景』の富士山がプリントしてあるやつ)をプレゼントしました。(日の丸の扇子とどっちがいいかな?と迷ったのですが、絵描きさんなので北斎にしました。)

本当は土日にムクラさんが暇だったら、私の住んでいる岐阜まで連れてきて、金華山に登って「日本には名古屋のビル街だけでなく、田舎に行けば美しい自然もあるんだよ」と見せてあげたかったのですが、もう出発まで日が無いので、時間を作れない、と言われて断念しました。

でも、来週タンザニアへ帰った後にも、8月にもう一度来日することが決まっているらしいので、ぜひその時に、と約束してあります。

帰りにはまた稲沢のアパートまで送って行ってなごりを惜しんだのですが、嬉しいことに、昨日飲みに行った稲沢の日本料理店の奥さんが、「折角日本にいらしたのだから、着物を持って帰ってタンザニアで家にかざっておきなさい」と打ち掛けをプレゼントしてくれました。

これにはムクラさんも大変よろこんで、8月にまた来るときにはお返しにカンガ(タンザニアの女性が着る伝統衣装)を持ってくるから、と約束していました。


そんなこんなで、私はタンザニア漬けの1週間でした。


ティンガティンガ・アート